lowlights

ざいとま

五つの物理 ── 全行七音、主語なし

みえるまで、下へ

物体空間場所流れ時間 もう見えている何処にも着かず此処が始まりもう浮かばない着かぬまま行く

五つの歌は、すべて七音の行でできています。主語はありません。感情の言葉も、理由の説明もありません。物と現象だけが並びます。

まずは何も調べずに、上から順に読んでみてください。それで足りるように書かれています。そのあとで、各曲の下に畳んである編注をひらくと、この連作が何を見ていたのかが書いてあります。

編注は、ある一冊の哲学書の話をします。ただしそれは答え合わせではありません。二度目に読むための、灯りです。

『存在と時間』について ── 読まなくても聴けます

マルティン・ハイデガー(1889–1976)はドイツの哲学者です。1927年に刊行された主著『存在と時間』は、20世紀でもっとも影響の大きい哲学書のひとつに数えられます(なお、後年の彼がナチス政権に加担した事実は、この本の評価と切り離せない問題として今も議論されています)。本は未完のまま終わりました。この連作が辿るのは、その書かれた前半部です。

ハイデガーの問いはひとつです——「在る」とは、どういうことか。机が在る、雨が在る、私が在る。私たちはこの言葉を毎日使いながら、その意味を一度も考えません。彼はこの問いに、定義や理屈からではなく、人間の日常の体験を細かく記述することから近づきました。「在る」を問題にできる唯一の存在者——人間——の日常に、答えの手がかりが埋まっていると考えたからです。

彼が見つけたことの第一は、世界はまず「眺められる物の集まり」ではない、ということでした。世界はまず、使われている道具のつながりとしてあります。ハンマーは「木の柄と鉄の頭からなる物体」である前に、手の中で釘を打っています。そして道具は、うまく機能しているあいだ、意識から消えている。それが姿を現すのは、壊れたときです(第一曲「破損」)。

第二に、不安。恐怖には対象があります——犬が怖い、高所が怖い。不安には対象がありません。何も壊れていないのに、世界全体からすっと手応えが抜ける。彼はこの「何でもない」体験にこそ、ふだん世界が当たり前に意味を持って成り立っていること自体が、裏側から見えると考えました(第二曲「浮遊」)。

第三に、被投性。誰も、生まれる場所も時代も体も選んでいません。気づいたときには、すでに投げ込まれていた。始まりに、自分は立ち会えない(第三曲「投入」)。そして第四に、頽落。人は日常の中で「みんな」に溶けていきます。みんなが読むものを読み、みんなが言うことを言い、みんなの速さで歩く。彼が強調したのは、この沈み込みが苦痛ではなく、むしろ心地よいということでした(第四曲「落下」)。

第五に、死への存在。死は人生の最後に起きる一つの出来事ではなく、生きているあいだずっと「常に手前にあるもの」として、存在の形を決めています。誰も代わりに死ねず、いつ来るかは分からず、しかし確実に来る。ハイデガーは、この終わりを直視して「先駆」する者は、みんなへの沈み込みから抜け出して自分自身の存在を引き受けられる——本来性に至る——と考えました(第五曲「先行」。ただしこの曲は、その約束に対して別の答えを出します。詳しくは第五曲の編注で)。

『存在と時間』は、身近な存在者の分析から始めて、最後に時間そのものの分析へ進みます。この連作の五曲が、手の中の道具(物体)→部屋(空間)→此処(場所)→日常(流れ)→時間、とスケールを一段ずつ広げていくのは、その歩みをなぞっています。

タイトル「在と間」は『存在と時間』の圧縮です。同時に、「在るものと、そのあいだ」とも読めます。五つの歌には、哲学の用語がひとつも出てきません。知らずに読めばただの物理の歌、知って読めばあの本の目次——どちらの読みも、正しいように作られています。

破損

物体
Verse 1

握りの窪む
刃先の減れる
継ぎ目の緩む
塗りの剥がれる
軸の擦り減る
音の狂える
動きの鈍る
遊びの出れる

Pre-Chorus

噛みの外れる
当たりの逸れる
戻りの利かず
力の逃げる

Chorus

回しの止まる
手から外れる
中で折れてる
初めて重い

Verse 2

切り口の出る
錆の浮き出す
木目の見える
亀裂の走る
芯の露わに
裏の見え出す
傷の重なる
色の違える

Pre-Chorus 2

台に置かれる
手の離れ出す
温みの引ける
向きの変わらず

Chorus

回しの止まる
手から外れる
中で折れてる
初めて重い

Bridge

手に持ち直す
重さの変わる
繕いの跡
握りの窪み
年輪の在る
釘の曲がれる
前から在った
壊れただけで

Final Chorus

回しの止まる
手から外れる
中で折れてる
もう見えている

編注 ── この曲について

使っているあいだ、道具は見えていません。ドライバーで何かを締めているとき、意識にあるのはネジの手応えであって、ドライバーそのものではない。道具は手の延長になって、透明になっています。この曲は、その透明が破れる瞬間の歌です。

Verse 1 は、まだ機能している道具の摩耗を並べます。窪み、減り、緩み、剥がれ——すべてはとっくに起きているのに、使い手は気づいていない。Pre-Chorus で噛みが外れ、力が逃げ、Chorus で回しが止まり、手から外れる。そして「初めて重い」。機能しているあいだ、道具に重さはありませんでした。壊れた瞬間に、重力が現れます。

Verse 2 では、壊れたあとに初めて見えるものが並びます。切り口、錆、木目、亀裂、芯、裏。使っているあいだ一度も見なかった物理的な事実が、一斉に露わになる。Bridge で手に持ち直すと「重さの変わる」——実際には何も変わっていません。変わったのは知覚のほうです。繕いの跡、握りの窪み、年輪。道具が生きてきた時間まで見えてくる。そして最終二行、「前から在った/壊れただけで」。この曲の頂点です。何も生まれていない。壊れて、見えただけ。

ハイデガーはこの転換を、道具的存在(Zuhandenheit)から事物的存在(Vorhandenheit)への移行と呼びました。『存在と時間』の有名な道具分析です。世界はまず「観察される物の集まり」ではなく「使われている道具のつながり」としてある——そのことは、道具が壊れて手の中で「ただの物」に変わる瞬間に、裏側から証明されます。

Final Chorus の変奏は「もう見えている」。一度見えたものは、見えなかったことに戻せません。この不可逆が、連作全体の主題——前からあったのに、見えていなかった——の最初の提示になります。

浮遊

空間
Verse 1

部屋はそのまま
物はそのまま
距離が伸びれる
音が遠退く
色の褪せ出す
奥行きの無い
手の届かない
全部が遠い

Pre-Chorus

足が着いてる
床に触れてる
明るいままで
何も届かず

Chorus

在るのに遠い
触れても遠い
向きの消え出す
全部が同じ

Verse 2

指が曲がれる
脈が打ってる
息の出ている
体温の在る
耳は聞こえる
瞳の開ける
何も壊れず
何も変わらず

Pre-Chorus 2

重さが消える
足の着かない
手の空を切る
下が分からず

Chorus

在るのに遠い
触れても遠い
向きの消え出す
全部が同じ

Bridge

名の剥がれ出す
用の抜け出す
形だけ在る
質だけ残る
置かれたままで
何処へも行けず
此処でも無くて
掴む場が無い

Final Chorus

在るのに遠い
触れても遠い
向きの消え出す
何処にも着かず

編注 ── この曲について

何も壊れていないのに、世界のほうが遠くなる——誰にでも覚えのある夕方があると思います。部屋はそのまま、物はそのまま。なのに距離が伸び、音が遠のき、色が褪せて、全部が遠い。Verse 1 は環境の異変を、知覚の歪みとして記述します。

Verse 2 は身体の点検です。指は曲がる、脈は打つ、息は出ている、体温はある、耳は聞こえる、瞳は開く。不随意の機能から感覚器まで、全部正常。環境も正常、身体も正常——なのに、何にも届かない。この非対称が、この曲の構造です。Pre-Chorus の四行——「足が着いてる/床に触れてる/明るいままで/何も届かず」——が、物理的な接触と知覚的な断絶の同居を最小の語数で言い切っています。

ハイデガーはこの体験を不安(Angst)と呼びました。恐怖(Furcht)には対象があります——犬が怖い、高所が怖い。不安には対象がない。世界全体から、すっと意味が抜ける。彼は、この「何でもない」体験にこそ、ふだん世界が当たり前に手応えを持って成り立っていること自体が、裏側から見えると考えました。

Bridge の「名の剥がれ出す/用の抜け出す」。物には名前と用途が貼りついていて、それが世界の手応えを作っています。不安の中でその層が剥がれ、形と質だけが残る。そして「此処でも無くて/掴む場が無い」——自分の部屋にいるのに、そこが「此処」でなくなる。ハイデガーが不安の気分を「不気味さ(unheimlich)」——家(Heim)にいられない感じ——という言葉で呼んだことと、正確に対応しています。

「破損」が一つの道具の話なら、「浮遊」は世界全体の話です。規模が一段上がります。Final Chorus は「何処にも着かず」。浮遊に着地はありません。この「着かない」は、第四曲「落下」の「もう浮かばない」と鏡像になっています——浮いて降りられない病と、沈んで浮かべない病。連作はこの二曲で、世界との距離の狂い方を両側から測っています。

投入

場所
Verse 1

地が先に冷え
足の着いてる
重さの掛かる
向きの決まれる
息の入り来る
光の差せる
音が来ている
始まりが無い

Pre-Chorus

選びの無くて
場に落とされる
受けの来ぬまま
戻りの利かず

Chorus

此処に落ちてる
立ちの始まる
歩きの出てる
選ばず歩く

Verse 2

季節の決まる
寒さの在れる
土が匂える
風の吹き出す
雨の降りかけ
日の傾ける
影の伸び出す
変えの利かない

Pre-Chorus 2

地は用意せず
空も待たずに
ただ先に在る
此処がそれだけ

Chorus

此処に落ちてる
立ちの始まる
歩きの出てる
選ばず歩く

Bridge

投げ手の居ない
落ちた痕だけ
元の見えない
着きの音だけ
此処が全部で
前が無い場に
立ちの来ている
それだけが在る

Final Chorus

此処に落ちてる
立ちの始まる
歩きの出てる
此処が始まり

編注 ── この曲について

目が覚めたとき、すべてはもう始まっていました。地面は先に冷えていて、足はもう着いていて、光は差していて、音は来ている。Verse 1 の八行は「自分より先に進行していた世界」の列挙で、八行目「始まりが無い」で確定します。自分の始まりに、自分は立ち会えない。

Verse 2 は条件の列挙です。季節、寒さ、土の匂い、風、雨、日の傾き。生まれる場所も、時代も、体も、誰も選んでいません。八行目「変えの利かない」。Pre-Chorus 2 はさらに乾いています——「地は用意せず/空も待たずに」。大地はあなたのために用意していなかった。空も待っていなかった。ただ先に在った。歓迎の不在を、恨み言なしで書いています。

ハイデガーはこれを被投性(Geworfenheit)と呼びました。人間は「投げ込まれて」存在している。ここで大事なのは Bridge の二行——「投げ手の居ない/落ちた痕だけ」です。投げられた。しかし、投げた者がいない。神も運命も出てきません。原因は見えず、落ちた痕跡だけがある。被投性という概念のいちばん硬い芯を、二行の物理で言い切っています。

それでも、この曲は止まりません。Chorus では「立ちの始まる/歩きの出てる」。選ばなかったが、もう歩いている。そして Final Chorus の反転——Verse 1 の「始まりが無い」に対して、「此処が始まり」。始まりは与えられなかった。しかし、此処にいることを引き受けたとき、此処が始まりになる。

連作の中でこの曲だけが、条件の引き受けという肯定で閉じます。第五曲「先行」の歩行は、この「此処が始まり」から出発しています。

落下

流れ
Verse 1

歩きの合える
速さの揃う
向きの同じに
間の詰まり出す
声が混ざれる
角の取れ出す
色の馴染める
輪郭の無い

Pre-Chorus

沈みの掛かる
底へ近づく
抗いの無い
緩く落ちてく

Chorus

流れに任す
手の力抜く
温度の揃う
分けの利かない

Verse 2

名の呼ばれない
顔の見えない
影の重なる
足音の消え
拍の合い出す
息が周りに
溶けて広がる
境の無くて

Pre-Chorus 2

温く沈める
底が柔らい
抗いの消え
緩く馴染める

Chorus

流れに任す
手の力抜く
温度の揃う
分けの利かない

Bridge

音の無い落ち
跡の付かない
揺れず沈める
痛みの無くて
温くて深い
柔くて暗い
覚めの来ぬまま
底に着いてた

Final Chorus

流れに任す
手の力抜く
温度の揃う
もう浮かばない

編注 ── この曲について

この曲には、痛みがひとつもありません。それがいちばん怖いところです。

Verse 1 では、歩きが合い、速さが揃い、声が混ざり、角が取れ、輪郭が無くなる。同化の八段階です。Pre-Chorus で沈みが掛かりますが、「抗いの無い」——抗う意志が無いのではなく、抗う摩擦が無い。緩く、落ちていく。Chorus の核心は「温度の揃う」です。温度が揃えば、差異は消えます。「分けの利かない」——もう区別がつかない。

ハイデガーはこれを頽落(Verfallen)と呼びました。人は日常の中で「みんな」——彼の言葉で世人(das Man)——に溶けていきます。みんなが読むものを読み、みんなが言うことを言い、みんなの速さで歩く。彼が強調したのは、この沈み込みが誘惑的で、鎮静的だということです。落ちた先は苦しくない。温かい。だから、気づかない。

Verse 2 で名前が呼ばれなくなり、顔が見えなくなり、足音が消えます。Bridge は「無い」の蓄積です——音の無い落ち、跡の付かない、揺れず、痛みの無くて。そして「温くて深い/柔くて暗い」。底は心地よい。だから「覚めの来ぬまま」、八行目で「底に着いてた」——過去形です。気づいたときには、もう着いていた。第一曲 Bridge の「前から在った」と同じ時制の仕掛けで、気づきはいつも遅れて来ます。

Final Chorus は「もう浮かばない」。第二曲「浮遊」の「何処にも着かず」の、正確な裏返しです。着地できない病と、浮上できない病。温かさがここでは救いではなく、罠として書かれています。

先行

時間
Verse 1

拍の止まれず
次の来ている
吸って吐き出す
前へ出て行く
引き返せない
着きの無い道
先が見えない
距離の減らない

Pre-Chorus

進みの止まず
向きの変えれず
遅さも利かず
ただ先に在る

Chorus

着く前に在る
終わりの先に
いつも手前で
まだ着いてない

Verse 2

踏んだ数だけ
靴底の減る
息の数だけ
あばらの開く
手の皺の増す
爪の伸びてる
白髪の混ざる
止められもせず

Pre-Chorus 2

近づきもせず
遠退きもせず
先の動かず
距離だけが在る

Chorus

着く前に在る
終わりの先に
いつも手前で
まだ着いてない

Bridge

今の過ぎ行く
先がまだ先
走っても先
止まっても先
追いの付かない
離れもしない
いつとも知れず
先だけが在る

Final Chorus

着く前に在る
終わりの先に
いつも手前で
着かぬまま行く

編注 ── この曲について

拍は止まれません。次の拍がもう来ている。息は吸えば吐く。歩けば前に出る。引き返せない。Verse 1 はこの「止まれなさ」の物理で、八行目は「距離の減らない」——どれだけ歩いても、あるものへの距離が減らない。

そのあるものとは、自分の終わりです。Verse 2 では、身体に時間が刻まれていきます。踏んだ数だけ靴底が減り、息の数だけあばらが開き、皺が増え、爪が伸び、白髪が混ざる。進んでいることは確かなのに、Pre-Chorus 2 では「近づきもせず/遠退きもせず」。終わりは一定の距離にあり続けます。近づく感覚も、遠のく感覚もない。

ハイデガーはこれを死への存在(Sein-zum-Tode)と呼びました。死は人生の最後に起きるひとつの出来事ではなく、生きているあいだずっと「常に手前にあるもの」として、存在の形を決めている。誰も代わりに死ねず、いつ来るかは分からず、しかし確実に来る。Bridge の対句——「走っても先/止まっても先」——は、この追えなさを五文字×二行で完成させた、連作全体の頂点です。

そして、ここでこの曲は原作から離れます。ハイデガーは、死を直視して先駆(Vorlaufen)する者は「みんな」への沈み込みから抜け出し、自分自身の存在を引き受けられる——本来性(Eigentlichkeit)に至る——と約束しました。この曲は、その約束を採用していません。Final Chorus は「着かぬまま行く」。先駆しても、何かが可能になるわけではない。到達は来ない。それを知った上で、それでも歩く。「まだ」という保留でも、「もう」という断念でもない、第三の態度です。

だからこの連作は『存在と時間』の音楽化ではなく、あの本を通過した先の返答になっています。問いは全部受け取る。最後の答えだけ、この連作の世界の言葉で言い直す——見えている。着かない。始まる。浮かばない。行く。

もう見えている何処にも着かず此処が始まりもう浮かばない着かぬまま行く